東京高等裁判所 平成8年(ネ)2849号 判決 1997年11月12日
控訴人(原告)
甲野春子
外一名
控訴人両名訴訟代理人弁護士
佐脇浩
被控訴人(被告)
甲野秋子
外二名
被控訴人ら訴訟代理人弁護士
寺口真夫
主文
一 本件控訴をいずれも棄却する。
二 控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実及び理由
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人ら
1 原判決を取り消す。
2 遺言者甲野太郎が平成五年一月五日付け自筆証書によってした原判決別紙遺言記載の遺言は無効であることを確認する。
3 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
二 被控訴人ら
主文と同旨
第二 事案の概要
本件事案の概要は、原判決二枚目表六行目の「記載の」の次に「自筆証書」を加え、八行目の「自体は」を「ないし方式については」と改め、次のとおり当事者双方の当審における主張を付加するほかは、原判決の「第二 事案の概要」に記載のとおりであるから、これを引用する。
一 控訴人らの主張
本件遺言中、遺言者が被控訴人冬子に相続させるとしている左記倉庫(以下「S番地の倉庫」という。)と目されるような遺言者所有の建物は、遺言時及び相続開始当時において存在していなかったから、この点においても本件遺言は無効である。
所在 板橋区上板橋弐丁目S番地
木造倉庫 床面積
壱九、八参平方米
二 被控訴人らの主張
1 <本件遺言中、遺言者が被控訴人秋子に自由に裁量処分することを委任するとした左記建物二棟(以下「P番地二の各建物」といい、個別的には、「(1)の建物」、「(2)の建物」という。)にかかる部分は、その対象物件の特定を欠くものであるから無効である旨の控訴人らの主張について>
〔P番地二の建物の表示〕
(1) 一、所在地番 板橋区上板橋弐
丁目P番地弐
居宅木造瓦葺
床面積 壱七壱、六〇平方米
(2) 一、所在 右に同じ
石造居宅
壱九、八参平方米
P番地二の各建物のうち(1)の建物は、遺言者が、昭和二七年四月ころ得た建築確認に基づき、既存の平屋(27.91坪)に一階及び二階を増築して、合計51.41坪としたものであり、(2)の建物は、遺言者が、昭和二八年八月ころ得た建築確認に基づき建築した地上一階、地下一階各7.002坪(合計14.004坪)の建物である。本件遺言において、(1)の建物について床面積が171.60平方メートルと記載され、(2)の建物について19.83平方メートルと記載されたのは、遺言者が、「平成4年度固定資産物件明細書」に基づいて本件遺言書を作成したからである。これらの建物は、未登記であったが、平成六年二月二四日に登記をした際、(1)の建物について、木造瓦葺二階建居宅、床面積 一階137.02平方メートル、二階38.88平方メートルとされ、(2)の建物について、石造瓦葺地下一階付平家建蔵、床面積 一階、地下一階各23.32平方メートルと表示されたのは、いずれも土地家屋調査士が作成した実測図に基づくものである。
このように、本件遺言書に記載されたP番地二の各建物の表示は、不動産登記簿の記載と正確には一致しないが、「平成4年度固定資産物件明細書」に基づいて特定されているものであり、P番二の土地には他に建物が存在しないのであるから、遺言書における対象物件の特定としては十分なものというべきである。
2 <本件遺言中の「自由に裁量処分すること」を「委任」するとの文言は、その意味が不明であるから無効である旨の控訴人らの主張について>
本件遺言中に「遺言者甲野太郎はその所有に係る次の家屋と借地権を自由に裁量処分することを相続人甲野秋子に委任する。」とあるのは、その家屋と借地権を妻である甲野秋子に「相続させる」との意に他ならない。これが、右建物と借地権を相続人の何人かに相続させるという指定をすることを被控訴人秋子に委任した場合には、控訴人ら主張のとおり、相続分又は遺産分割方法の指定の委任となる。しかし、本件遺言がそのような趣旨のものでないことは明白である。このことは、遺言者が、本件遺言作成時に、被控訴人秋子に対し、「自分の妻だから当然の権利者である。秋子がいらない時は誰のものにしてもよい。」旨述べていることからも明らかである。
したがって、本件遺言書で「委任する」とあるのは、「自由に裁量処分することを」と続けて読むべきであり、被控訴人秋子に相続させるのだから、被控訴人秋子が所有者としてどのように使用、収益、処分してもよい、という意味に他ならないのであって、民法九〇二条一項ないしは九〇六条の「委託」と意味の異なることは明白である。同様な趣旨において、本件遺言中の「自由に裁量処分すること」についても、その財産をその相続人に「相続させる」意と理解されるのであり、それ以外の解釈の余地はない。
3 <本件遺言中の「基礎控除で差引く」との文言は、その意味が不明であるから無効である旨の控訴人らの主張について>
本件遺言中に「遺言者甲野太郎が甲野冬子に貸付けてある貸付金は相続の時基礎控除で差引くこと。」とあるのは、遺言者の被控訴人冬子に対する貸付金にかかる被控訴人冬子の返還債務を免除する意思を表示したものである。このことは、本件遺言書作成時に、遺言者が、「自分達の世話をしているのに自分に対する債務として残っては大変なので帳消しにしたいから、その債権を冬子の相続分としたい。」旨述べていることから明らかである。
4 <本件遺言中、遺言者が被控訴人冬子に相続させるとしているS番地の倉庫と目されるような遺言者所有の建物は、遺言時及び相続開始当時において存在していなかったから、この点に関する本件遺言は無効である旨の控訴人らの主張について>
S番地の倉庫は、当初、同番地の北東端に所在していたが、遺言者が、その部分にブロック造りの車庫を建築するために、これを東南側に移築したものである。このS番地の倉庫は、遺言者所有の上板橋S番地一三の土地が昭和四八年一一月一日に同番一三と同番一八の土地に分筆され、同番一三の土地が控訴人春子、その夫の甲野一郎及びその子供たちに贈与される前は、同番一三の土地に所在し、分筆後は同番一八の土地に所在しているのであって、S番地の倉庫は控訴人春子及び甲野一郎らに対する贈与の対象とはなっておらず、遺言者の遺産に属しているのである。
第三 当裁判所の判断
一 <本件遺言中、遺言者が被控訴人秋子に自由に裁量処分することを委任するとしたP番地二の各建物にかかる部分は、その対象物件の特定を欠くものであるから無効である旨の控訴人らの主張について>
1 証拠〔甲二、三号証、乙一、二号証、三号証の一、四号証の一、二、被控訴人本人甲野冬子の証言〕並びに弁論の全趣旨によれば、①遺言者は、昭和二七年四月六日付けで得た建築確認に基づき、昭和二八年ころ、もともと板橋区上板橋二丁目P番二の土地(当時の土地の表示は「板橋区上板橋七丁目P番二」)上に存在した木造亜鉛メッキ鋼板瓦葺平家建居宅に、一階及び二階を増築して、床面積合計51.41坪の木造瓦葺二階建居宅としたこと、なお、この増築建物については表示の変更の登記がされないままとなっていたこと、②また、遺言者は、昭和二八年八月三日付けで得た建築確認に基づき、昭和二九年六月ころ、右P番二の土地上に地上一階、地下一階各7.002坪(合計14.004坪)の石造瓦葺地下一階付平家建物置(蔵)を新築したこと、なお、この物置は、未登記のままにされていたこと、③本件遺言時及び相続開始時において、P番二の土地上には、右二棟の建物以外には、建物が存在していないこと、④遺言者が、本件遺言において、P番地二の各建物について前示の控訴人らが指摘するような表示をしたのは、遺言の際に、手許にあった東京都板橋都税事務所固定資産税課作成の「平成4年度固定資産物件明細書」の記載を参照し、これに依拠して遺言の対象物件を特定したからであること、⑤なお、前示の二棟の建物について平成六年二月二四日付けで表示の変更等の登記手続がされた際に、右①の建物について、木造瓦葺二階建居宅、床面積一階137.02平方メートル、二階38.88平方メートルと表示され、また、右②の建物について、石造瓦葺地下一階付平家建蔵、床面積一階、地下一階各23.32平方メートルと表示されたのは、いずれも土地家屋調査士が作成した建物図面及び東京法務局板橋出張所登記官の調査に基づく結果であること、以上の事実を認めることができる。
2 右の認定事実によれば、本件遺言書に記載されたP番地二の各建物中(1)の建物は、遺言者が昭和二八年ころ増築した右1の①の居宅であり、不動産登記簿上「木造瓦葺二階建居宅、床面積 一階137.02平方メートル、二階38.88平方メートル」と表示された建物であることは明らかであり、また、(2)の建物は、遺言者が昭和二九年六月ころ新築した右1の②の物置であり、不動産登記簿上「石造瓦葺地下一階付平家建蔵、床面積 一階、地下一階各23.32平方メートル」と表示された建物であることが明らかである。
右のように、P番地二の各建物についての本件遺言書の表示は、遺言者の死亡後である平成六年二月二四日付けでされた不動産登記簿における表示と正確には一致しないものであるが、それらは前示の「平成4年度固定資産物件明細書」に基づいて特定されたものであり、P番二の土地には他に建物が存在しないものである以上、遺言書の表示と現地において存在している建物の現況等とを照し合わせれば、右のように疑義なく対象物件を特定することができるのであるから、本件遺言中、P番地二の各建物にかかる部分が、その対象物件の特定を欠くものであって無効であるということはできない。
控訴人らの右主張は、失当というべきである。
二 <本件遺言中の「自由に裁量処分すること」を「委任」するとの文言は、その意味が不明であるから無効である旨の控訴人らの主張について>
1 被相続人の遺産の承継関係に関する遺言については、遺言書において表明されている遺言者の意思を尊重して合理的にその趣旨を解釈すべきものであるところ、遺言者は、各相続人との関係にあっては、その者と各相続人との身分関係及び生活関係、各相続人の現在及び将来の生活状況及び資力その他の経済関係、特定の不動産その他遺産についての特定の相続人のかかわりあいの関係等各般の事情を配慮して遺言をするのが通常であるから、遺言書が多数の条項からなる場合に、そのうちの特定の条項を解釈するに当たっては、単に遺言書の中から当該条項のみを他から切り離して抽出し、その文言を形式的に解釈するだけでは十分ではなく、遺言書全体の記載との関連において、右の各般の事情を総合考慮して、遺言者の真意を探究し、当該条項の趣旨を合理的に確定すべきものである。
2 そこで、本件遺言の基礎となった遺言者と各相続人との身分関係及び生活関係、各相続人の現在及び将来の生活状況及び資力その他の経済関係、特定の不動産その他遺産についての特定の相続人のかかわりあいの関係等各般の事情についてみると、前示の争いのない事実に加え、証拠〔甲四ないし六号証、一二、一五、一九、二〇号証、乙八、一〇号証、一一号証の一、二、一三ないし一八号証、一九号証の一ないし五、当審における証人甲野一郎の証言、当審における被控訴人冬子本人の供述〕並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができる。
(1) 遺言者(明治三七年五月七日生)は、平成五年七月一六日に死亡したが、その相続人は、妻の被控訴人秋子(明治四一年二月二日生)、長女の控訴人春子(昭和八年八月七日生)、二女の被控訴人丙山花子(昭和一〇年六月一一日生)、三女の被控訴人冬子(昭和一二年一〇月二六日生)、五女の控訴人乙野夏子(昭和一七年三月一七日生)の五名であった。
(2) 遺言者とその妻である被控訴人秋子は、板橋区上板橋二丁目P番二の土地を賃借し、同土地上に、前示一1のとおり、居宅を所有するなどして、同土地建物を遺言者夫婦の生活の本拠として使用してきた。
(3) 遺言者は、もと株式会社特殊鋼線製作所(以下「旧特殊鋼線製作所」という。)の代表取締役として同社を経営していたが、後継者となるべき男子の実子に恵まれなかったから、昭和三三年五月、長女の控訴人春子が一郎と婚姻するに際して、一郎に対し、旧特殊鋼線製作所の仕事を手伝ってもらいたい、そして、できれば甲野姓を名乗ってもらいたい、その代わり、控訴人春子夫婦の結婚生活のために、遺言者が所有する板橋区上板橋二丁目S番一三の土地(宅地871.57平方メートル)の相当部分を同夫婦に贈与し、その土地上に同夫婦が新居とする建物を建ててやりたい、との趣旨の申出をした。
一郎は、遺言者の右申出を承諾し、それまで勤務していた三共株式会社を退職して、旧特殊鋼線製作所に入社し、また、夫婦の姓を甲野とした。遺言者も、約束どおり、右S番一三の土地中、500.42平方メートルを控訴人春子・甲野一郎夫婦に贈与し、昭和三三年六月ころ、同土地上に、夫婦が新居とする建物(木造瓦葺平家建居宅、床面積110.58平方メートル)を建ててやった(なお、遺言者が控訴人春子夫婦に贈与した右土地については、昭和四八年一一月一日、S番一三の土地がS番一三(500.42平方メートル)と同番一八(371.14平方メートル)に分筆されたうえ、分筆後のS番一三の土地について、昭和四八年一二月一七日受付をもって、同月一五日贈与を原因として、控訴人春子、甲野一郎並びに同夫婦間の子である甲野A子及び甲野B子の共有名義に所有権移転登記が経由され、また、右建物については、昭和五二年三月二五日受付をもって、同月二四日贈与を原因として、右控訴人春子外三名の共有名義に所有権移転登記が経由されているが、これは、甲野一郎の希望により、節税対策の観点から、控訴人春子夫婦に加えてその子供らへの贈与とすることとし、登記手続を行う時期を延ばしていたという事情によるものであった。)。
(4) その後、旧特殊鋼線製作所は、昭和五〇年ころ経営不振に陥ったが、遺言者は、甲野一郎らの協力を得て、旧特殊鋼線製作所の工場・敷地の一部を売却したり、私財を処分するなどして会社の負債整理に努め、また、昭和五三年四月、新会社としての株式会社特殊鋼線製作所を設立し、甲野一郎が代表取締役に就任するなどして、経営危機を乗り越えた。
(5) 遺言者の二女の被控訴人丙山花子は昭和三六年三月二三日丙山と婚姻し、また、五女の控訴人乙野夏子は昭和四一年六月二〇日乙野と婚姻し、それぞれ安定した生活を営んでいる。
三女の被控訴人冬子は、昭和五三年四月まで旧特殊鋼線製作所に勤務し、その後は、母の被控訴人秋子が経営していたアパートの管理業務を手伝ったりなどしていたが、一度も結婚はせず、遺言者及び被控訴人秋子と同居し、あるいは、昭和五九年一〇月ころ以降は遺言者夫婦の居宅に隣接する遺言者所有の上板橋二丁目S番一八の土地(371.14平方メートル)を無償で借り受け、同土地上に居宅を建ててその住まいとし、年老いてきた父母である遺言者夫婦の食事の用意など、何くれとなく日常生活の世話をしてきた。
(6) 昭和六三年八月一〇日、遺言者及び被控訴人秋子の養母である甲野C子が死亡し、遺言者夫婦はC子が所有していた板橋区桜川三丁目Q番一の土地等を相続することになったが、遺言者は、その相続税の支払いのために、控訴人春子ら四人の子供たちに遺言者の所有地を買い取るように協力を求めた。
そこで、被控訴人冬子は、昭和六三年一二月二六日、遺言者から無償で借り受け、その地上に居宅を建てて使用していた上板橋S番二二の土地(宅地330.57平方メートル。昭和六三年一二月九日、右(5)のS番一八の土地から分筆された。)を代金一億五六五〇万円で買い受けた。被控訴人冬子は、三菱銀行から六〇〇〇万円を借り入れるなどして右代金の一部を遺言者に支払ったが、本件相続開始時において、八八九一万七六一三円が遺言者に対する売買代金債務の残金として残ることとなった。
なお、遺言者は、独り身の被控訴人冬子の将来を案じてか、右のように被控訴人冬子の居住する建物が所在するS番一八と同番二二に分筆前のS番一八の土地については、以前から被控訴人冬子に相続させたいと考えていたようであって、同土地についての相続権を放棄する旨を記載した昭和五九年一〇月二六日付けの「証」と題する書面を作成し、被控訴人冬子以外の子らである控訴人春子、被控訴人丙山花子、控訴人乙野夏子にその旨それぞれ押印させていたことがあった。
また、被控訴人丙山花子も、平成元年一月二〇日、遺言者夫婦が右相続により取得した板橋区桜川三丁目Q番二の土地(330.60平方メートル)を遺言者夫婦から買い取った。なお、控訴人春子と控訴人乙野夏子は、遺言者夫婦の相続税の支払いに格別の協力はしなかった。
(7) 遺言者及び被控訴人秋子は、控訴人春子、甲野一郎及びその子ら三名に対し、甲野C子から相続した板橋区桜川三丁目Q番四の土地(147.21平方メートル)の共有持分全部を、昭和六三年一二月二一日から平成二年五月一〇日にかけて三回にわたって贈与した。
(8) 遺言者は、平成五年一月五日、被控訴人秋子と被控訴人冬子が居る前で本件遺言書を作成したが、その折り、本件遺言中の「自由に裁量処分することを相続人甲野秋子に委任する。」との文言の意味に関して、傍らの被控訴人秋子に対し、「(被控訴人秋子は)自分の妻だから当然の権利者である。秋子がいらない時は誰の物にしてもよい。」との趣旨のことを話し、また、本件遺言中の「遺言者甲野太郎が甲野冬子に貸付けてある貸付金は相続の時基礎控除で差引くこと。」との条項の趣旨に関して、被控訴人秋子に対し、「(被控訴人冬子は)自分たちの世話をしているのに、(前示(6)の売買代金残債務が)自分に対する債務として残っては大変なので、帳消しにしたいから、その債権を冬子の相続分としたい。」との趣旨のことを話した。
3 そこで、右に認定した本件遺言を巡る各般の事情や本件遺言書の記載全体を総合考慮して、遺言者の真意を探究し、本件遺言中の「遺言者甲野太郎はその所有に係る次の家屋と借地権を自由に裁量処分することを相続人甲野秋子に委任する。」との条項(以下「本件委任条項」という。)の趣旨を合理的に解釈すれば、もともと右の遺産処分の対象となる板橋区上板橋二丁目P番二の土地に所在する居宅及びその附属建物である蔵(物置)並びに同土地の借地権は、遺言者及びその妻である被控訴人秋子が長年にわたって生活の本拠としてきた建物とその敷地の利用権であって、他の相続人らはそれぞれ自らの生活の本拠を別に持っているところからすれば、遺言者が、その死亡後には、右の各建物及び借地権を被控訴人秋子に単独で相続させようとする意思を有していたとしても、それは極めて自然なことということができること、実際にも、前示のとおり、遺言者は、本件遺言の作成時に、「自由に裁量処分することを相続人甲野秋子に委任する。」との文言の意味に関して、傍らに居た被控訴人秋子に対し、「(被控訴人秋子は)自分の妻だから当然の権利者である。秋子がいらない時は誰のものにしてもよい。」との趣旨のことを話しているところであって、この遺言者の発言は、右の各建物及び借地権を被控訴人秋子に単独で相続させたいとする意思を表現した趣旨のものとみて何ら不合理はないこと、等に照らし、本件委任条項は、他の「遺言者甲野太郎はその所有に係る次の家屋を相続人甲野冬子に相続させること。」との条項の趣旨と同様に、右の各建物及び借地権を相続人である被控訴人秋子に単独で「相続させる」とした趣旨のものと解するのが相当である。
(したがって、特段の事情がない限り、何らの行為を要せずして、右の各建物及び借地権は、遺言者の死亡の時に直ちに相続により被控訴人秋子に承継されたものである。)。
これに対し、本件委任条項中にある「委任する」という文言をとらえて、本件委任条項は、右の遺産にかかる分割の方法を定めることを被控訴人秋子に対し委託(民法九〇八条参照)し、あるいは、右の遺産にかかる共同相続人の相続分を定めることを被控訴人秋子に対し委託(民法九〇二条一項参照)した趣旨のものと解する考え方も有り得ないではないと思われるが、このような考え方によると、被控訴人秋子が当然に右の遺産を承継することができなくなることになるところ、これは、前示の事情の下においては、遺言者の意思の解釈としていかにも不自然であるといわざるを得ないし、また、右のように、本件遺言中の別の条項においては「相続させること。」との文言が使用されているのに、本件委任条項においてはそのような文言が用いられていないということを重視して、本件委任条項は「遺贈」を意味するものと解する考え方も有り得ないではないと思われるが、これも、被控訴人秋子が遺言者の法定相続人である妻であり、しかも、右の遺言処分の対象となる遺産には借地権が含まれていること等を考慮すると、専ら右の文言上の相違を理由に、遺言者が、右の遺産については、妻に「相続させる」のではなく、わざわざ借地権の譲渡について賃貸人の承諾を必要とするなど被控訴人秋子に不利益で、かつ将来賃貸人との間で紛争が発生するおそれのある結果となる「遺贈」をしたものと解するのは、遺言者の意思の解釈として合理性に欠けるものといわざるを得ないところであって、いずれも採り得ないところである。
4 右と同様の趣旨において、本件遺言中の「遺言者甲野太郎の以上の他の残餘財産は相続人甲野秋子が自由に裁量処分すること」との条項は、本件遺言書においてその処分について個別的に記載されていない遺言者の遺産は、被控訴人秋子に「相続させる」とした趣旨のものと解するのが相当であり、また、右条項に引き続いて記載されている「不可能の時相続人甲野冬子裁量処分すること」との条項は、被控訴人秋子が死亡等により遺言者を相続できない場合は、右の遺産は被控訴人冬子に「相続させる」とした趣旨のものと解するのが相当である(なお、本件遺言中の「以上に定められた以外に、もし遺言者甲野太郎が甲野秋子の財産を相続した場合、相続人甲野冬子が自由に裁量処分すること。」との条項も、右と同様の方法によって合理的に解釈すべきであるが、右条項の前提となる「遺言者甲野太郎が甲野秋子の財産を相続した場合」は生じなかったことは明らかであるので、その解釈については論ずるまでもない。)。
5 なお、本件遺言中の「遺言者甲野太郎はその所有に係る次の家屋と借地権を自由に裁量処分することを相続人甲野秋子に委任する。」との条項や、「遺言者甲野太郎の以上の他の残餘財産は相続人甲野秋子が自由に裁量処分すること」との条項を右のように解すべきであるとすると、この解釈に従った場合に本件遺言に係る遺言者の相続処理として採られるべき不動産登記手続と、現実に遺言者の遺産の相続処理に関して採られた不動産登記手続との間に不一致がみられるものがあることは否定できないが、この点は、もとより本件遺言の右各条項に関する遺言者の意思解釈の相当性を左右するものでないことはいうまでもない。
6 したがって、控訴人らの右主張は、失当というべきである。
三 <本件遺言中の「基礎控除で差引く」との文言は、その意味が不明であるから無効である旨の控訴人らの主張について>
確かに、本件遺言中の「遺言者甲野太郎が甲野冬子に貸付けてある貸付金は相続の時基礎控除で差引くこと。」との条項(以下「本件控除条項」という。)中の「基礎控除で差引く」との文言の趣旨は、それ自体としてみる限り分かりにくいものといわざるを得ない。
しかしながら、前示二2(6)、(8)のとおり、被控訴人冬子は、遺言者に対し、甲野C子の相続について遺言者夫婦が負担するに至った相続税の支払いに協力する趣旨もあって、昭和六三年一二月二六日に遺言者から買い受けることとした板橋区上板橋S番二二の土地の売買残代金(本件相続開始時において、八八九一万七六一三円。)の支払義務を負担していたこと、ところが、右売買の目的となった上板橋S番二二の土地は、もともとは、遺言者において、独り身の娘である被控訴人冬子の将来を案じて、同人に相続させたいと考えていたものと窺われる土地であったこと、そして、遺言者は、本件遺言の作成時に、本件控除条項の趣旨に関して、被控訴人秋子に対し、「(被控訴人冬子は)自分たちの世話をしているのに、(前示(6)の売買代金残債務が)自分に対する債務として残っては大変なので、帳消しにしたいから、その債権を冬子の相続分としたい。」との趣旨のことを話していたこと、等の事実を総合すれば、本件控除条項の趣旨は、遺言者が被控訴人冬子に対し有する右売買代金残債権を被控訴人冬子に相続させ、被控訴人冬子の債務を消滅させる(それによって債権の混同が生じ、被控訴人冬子の売買代金残債務も消滅することとなる。)趣旨のものと解するのが相当であり、このように解することが遺言者の真意に合致するものであることは明らかというべきである(なお、控訴人らは、右のように解すると、本件遺言全体の内容との関連において、子である法定相続人四名中、被控訴人冬子のみが不当に優遇される結果となるとの不満を有しているように窺われ、ことに控訴人春子は、夫である甲野一郎が旧特殊鋼線製作所が経営危機に陥った際に果たした貢献が、本件遺言にもっと反映されてしかるべきであると考えているように窺われるが、もともと、遺言者の遺産をどの様に遺言処分するかは、基本的には遺言者の自由な意思そのものにかかっているのであり、ここで問題とすべきは、その遺言者の意思を前示二1の観点からどのように合理的に解釈すべきか、という点にほかならないのである。その上で、あえて付言すれば、控訴人春子の夫である甲野一郎の貢献という関係では、前示二2(3)、(7)の事実に照らせば、遺言者は、生前贈与という方法を通して、遺言者なりの配慮を示していることが窺われるのであり、他方、本件遺言においては、遺言者の負債(乙五号証によれば、金融機関からの借入金等合計二七二二万八八九四円に上る。)のすべてを被控訴人冬子が引き受ける(相続する)こととされており、また、被控訴人冬子が長年にわたって年老いた遺言者とその妻である被控訴人秋子の日常生活の世話をしてきたことについての遺言者の感謝の気持が、そして、遺言者の死亡後も、被控訴人冬子に被控訴人秋子の生活の面倒をみ続けてもらいたいとの遺言者の願いが本件遺言に反映されているであろうことを考えると、本件遺言全体の内容が、子である法定相続人のうち被控訴人冬子のみを不当に優遇する結果となっていると断ずることには、躊躇を覚えざるを得ないのである。)。
したがって、控訴人らの右主張は、失当というべきである。
四 <本件遺言中、遺言者が被控訴人冬子に相続させるとしているS番地の倉庫と目されるような遺言者所有の建物は、遺言時及び相続開始当時において存在していなかったから、この点に関する本件遺言は無効である旨の訴人らの主張について>
1 甲野一郎作成の陳述書〔甲二五号証〕には、遺言者が被控訴人冬子に相続させるとしているS番地の倉庫は、昭和五二年三月二五日、甲野一郎が妻の控訴人春子、長女A子及び二女B子と共に、遺言者から板橋区上板橋二丁目S番一三の土地上に所在する木造瓦葺平家建居宅(床面積110.58平方メートル)の贈与を受けた際に、これと併せて贈与を受けた倉庫(木造コンクリート瓦葺平家建倉庫・床面積(現況)23.14平方メートル)を指すものと考えられるところ、右倉庫は、一部が滅失しその残存部分は現存しているものの、いずれにせよ甲野一郎ら共有のものであって、遺言者の遺産に属するものではない旨の記載があり、当審における証人甲野一郎も同趣旨の証言をするところであり、また、東京都板橋都税事務所保管の上板橋二丁目S番地一三に所在する家屋に係る「家屋(補充)課税台帳」〔甲一七、一八号証〕の物件明細欄には、控訴人春子、甲野一郎外二名の共有にかかる建物として床面積23.14平方メートルの木造倉庫が所在している旨の記載があることを認めることができる。
2 しかしながら、被控訴人冬子作成の陳述書〔乙一七号証〕や当審における被控訴人冬子本人の供述中には、右倉庫を控訴人春子外三名に対して贈与したことはないことを前提とする遺言者の言動に関する記載、供述部分があるばかりでなく、証拠〔甲二一、二二号証、乙六ないし八号証、当審における被控訴人冬子本人の供述〕並びに弁論の全趣旨によれば、甲野一郎が、右陳述書において控訴人春子らと共に贈与を受けたとする倉庫は、もともと、遺言者が、昭和三四年八月ころ、当時の上板橋二丁目S番の土地の北東端側に所在したものを、同土地の南東側に移築したものであり、昭和四八年一一月一日、遺言者所有のS番一三の土地がS番一三と同番一八に分筆され、分筆後のS番一三の土地が控訴人春子外四名に贈与される前のS番一三の土地に所在していたものであって、右分筆後は遺言者所有の同番一八の土地に所在することとなったものであること、また、控訴人春子・甲野一郎夫婦らの居宅が昭和四六年四月一六日付けをもって表示の登記がされた際にも、右倉庫は右居宅の附属建物としては登記されなかったこと、を認めることができる。
そして、右の倉庫が所在する遺言者所有のS番一八の土地は、前示のとおり、遺言者において、いずれは被控訴人冬子に相続させたいと考えていたことが窺われる土地であることをも併せ考えれば、昭和三三年六月ころ、S番一三の土地上に控訴人春子・甲野一郎夫婦のために新居となる建物を建築してやった遺言者において、同夫婦に対し、右の倉庫を利用することを容認していたことは窺われるものの、それ以上に、右1の甲野一郎の陳述書の記載等から、遺言者において、右の倉庫を控訴人春子外三名に贈与したとの事実まで認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
3 ところで、S番地の倉庫についての本件遺言書の表示は、前示の「平成4年度固定資産物件明細書」の記載に基づいて特定されたものであるところ、証拠〔甲二一ないし二五号証〕並びに弁論の全趣旨によれば、甲野一郎において遺言者から控訴人春子外三名が贈与を受けたと陳述する前示の倉庫(木造コンクリート瓦葺平家建倉庫・床面積23.14平方メートル)は、平成六年二月二四日付けで表示の登記がされた上板橋二丁目S番地一八及び同番地二二所在の木造スレート瓦葺平家建物置(床面積16.56平方メートル)〔甲二三号証〕と同一性を有するものであることは明らかであり、また、上板橋二丁目S番一三、一八及び二二の土地上には他に本件遺言書記載のS番地の倉庫に相当するような建物は存在しないことが認められるから、結局、S番地の倉庫は、右の不動産登記簿上「上板橋二丁目S番地一八及び同番地二二所在・木造スレート瓦葺平家建物置(床面積16.56平方メートル)」と表示された建物であることが明らかというべきである(なお、右のように、S番地の倉庫についての本件遺言書の表示は、遺言者の死亡後である平成六年二月二四日付けでされた不動産登記簿における表示と正確には一致しないものであるが、遺言書の表示と上板橋二丁目S番一三、一八及び二二の各土地上に存在している建物の現況等とを照らし合わせれば、右のように疑義なく対象物件を特定することができるのであるから、S番地の倉庫についての本件遺言書の右記載が、その対象物件の特定に欠けるものということはできない。)。
4 したがって、控訴人らの右主張も、また失当というべきである。
第四 結論
以上のとおりであって、本件遺言を有効であるとして控訴人らの本訴請求をいずれも棄却した原判決はその結論において相当であり、本件控訴は理由がないからこれをいずれも棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官塩崎勤 裁判官橋本和夫 裁判官川勝隆之)